# 別Blogに書く記事の草稿になると思います。ということで久々にパブリック。
最近、「すごい人」に会う機会がとても多いです。
会ったときはものすごくその出会いがうれしくて、自分がその人と話ができたことに幸せを感じるのですが、終わった後、自分の状況と比較して自分の「すごくなさ」にちょっとへこんだりしています。(こういう気持ちになる時点で自分がぜんぜんいけてない)
私がすごいと思うのは、その人の今までの実績ではないんです。
やっぱり人との接し方が違う。考えていることが違う。もっと言うと多分育ちが違う。
こういうのが「オーラ」を作り出すのだろうなあ。
私がこれまで会ったすごい人は、こんな特徴があると思っています。
- 自分がすごいということを認識している
- 自分がどうしてすごいかを分かっている(ものすごい努力をしている)
- だけど「オレすごい」とは言わない(自慢する必要がないと思っている)
- 「すごくない人」と対等の目線でしゃべる。1人の人間として接している
- 話が明快である。どういうことに対しても、あいまいな表現をしない
- 人の話に対する反応が的確。人の気持ちを一瞬で読み取る
- 親が自営業とか事業をやっている人が非常に多い
だんなとよく話すのですが、「すごい人」は非常に学歴が高い人が多いと思っています。でもなんとなくそれ以上に、親が事業をやっていた人が多いような気がするのです。事業といってもなんでもいいんです。うまくいってなかったということでもいい。とにかくサラリーマンの親を持つ人を「すごい人」にあまり見たことがありません。もしかしてそこで「育ち」が変わってくるのかなあなんて思ったり。
ちなみに私たち夫婦は第2次ベビーブームの一番中心の年の生まれ(1973年)です。ということで私の両親も、第1次ベビーブームの中心の年生まれ(1946年)、つまり「団塊の世代」です。
私たちは本当に、普通の中流家庭を絵に描いたような家庭で育ちました。父親はそれなりに大きな会社に行ってそれなりに出世をして、30代で(大きくない)家を買ってローンを払って、会社を1度も辞めずに何十年も勤め、別にトップに上がるまではいかずに定年になって……。父親同士が本当に状況が似ている(業界は違いますが、会社の規模も職種も同じ感じ)ので、そりゃうちらの価値観も似るよなあと思うわけです。
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すごい人たちは、すごくない私を決してのけものにはしません。むしろ歓迎してくれ、新しい出会いに感謝している感じで、とてもあたたかいのです。一生懸命背伸びしようとしている私を、「そんなことしなくていいよ」とやさしく頭をなでてもらっているような、そんな感じ。
もっと、この人たちと話ができるようになりたい。
そういう気持ちを持つと、自分の今までの人生がいかにぬるかったかということを思うのです。
私が感じた挫折も苦悩も、この人たちの経験に比べたらちっぽけなものだと思う。私の人生から、人に影響を与えたりできるようなものが生まれてくるのか?と不安になります。
この人たちのようにすごくなりたい、とかそんなことは思わない。
でも、この人たちと楽しく話ができる関係でいたいと思う。
そのために私は、ちょっとは「すごく」ならないといけないのかなあと思ったりするのです。
そういや、相方嬢izuizuも親は自営業でした。
私から見ると彼女の人生はまったくぬるくない。ああいう人になるのには、ちゃんと理由があるのです。本人は偶然だとかラッキーだとか流されてきたとか言ってますが、それを生むのは本人の力です。
って、すごい人からなんか話がずれてきたな。
今の流れを見ていると、私の人生に「おまえ、変われ」と言われているように思っているわけです。
すごい人に会えるというだけでも、すごいことです。
それは、私がすごい人になるチャンスをもらっているということかもしれない。
なんか、いい経験をしているなあと思っています。